10月7日(土)
「道の駅 上品の郷」の朝が来た。
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昨夜の強風も何とかやり過ごせ、大型トラックの侵攻も無く静かに眠れた。
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エルブレは今朝も元気な様子。かなり旅慣れしてきた。
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朝食は隣のローソンでクーポン利用で30円引きで買って喜んでいたオニギリを頂いた。味はイマイチだった。
今日から世間では三連休となっているせいか、周りも他県ナンバーだらけだ。歴史的なガソリン高騰も、皆さんどこ吹く風だ。
そして今日からいよいよこの旅の一番の目的である三陸ゾーンに突入する。あの震災以降は訪れておらず、いつかはその爪痕とその後の逞しい復興した姿を実際に見たいと思っていた。あれから12年、今回ようやくその機会が巡って来たのでじっくりと周りたい。と、思っていたのだが、あいにく三連休の三日目の月曜に天気が崩れると予報が出た。
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その三日目だが、青森まで行けば雨もそれほどでもなさそうなので、残念ながら今日と明日とで駆け足で岩手まで終わらせないといけなくなった。
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傍にあるコインランドリーで急いで洗濯を済ませ、お世話になった道の駅上品の郷を出発した。
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河北ICから三陸道に乗り、北上開始だ。
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震災後すぐに整備が始まり、つい最近の2021年にようやく全線開通した日本最長の無料高速を快調に北上する。たまに現れる追い越し区間では、きっと時間が限られているのであろう他県ナンバーの観光客たちがけっこうなハイスピードですっ飛んで行く。ここぞとばかりにハイエナのような警察が取締りをしてやいないかと、道産子としてはつい心配になってしまう。
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途中、高速沿いにある「道の駅三滝堂」に立ち寄ってみた。PAらしいPAがほとんど無い三陸道では、道の駅がその代わりを担っているようだった。
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この駅にはドッグランがあった。他のPAのランと同様に特に利用時間の制限は設けられていないのが良い。
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ドッグランがあるのは高ポイントだが、あまりに三陸道の本線に近いので車中泊には落ち着かなそうだ。
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次はいよいよ被災地を訪れる。先ずは南三陸町へ。
すぐに一大復興記念公園となっている道の駅が見えて来た。三連休初日ということもありかなりのクルマと人出のように見えた。ここも後で寄るが、先ず目指したのは、
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「ブライダルパレス高野会館」だ。
当時高齢者の芸能発表会が行われていたが、元漁師のスタッフの方の判断で全員屋上に避難し、327名と犬2匹が助かったという震災遺構である。
大賑わいの道の駅と対照的に、到着した際は練馬ナンバーのライダーしか訪れていなかった。
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実際に津波がここまで来たという青い看板を見上げると、想像を超えるあまりの高さに言葉が出ない。これは実際に訪れて見てみないと絶対に実感出来ないであろう。
わずか50cmの高さの津波で200㎏ものパワーとのことなので、これって。。当時から強度には絶対の自信があった建物らしいが、確かにその通りだったようだ。
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ポツンと駐車場に停めたコンパスのすぐ裏にはまだ真新しく見える防潮堤がそびえ建つ。当時ここから巨大な水の塊が押し寄せて来たと思うと、震える。
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次は「道の駅さんさん南三陸」の裏手の遺構を訪ねるが、その前に昼飯をこちらで頂こうと思う。
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こちらの「南三陸さんさん商店街」には魚介を扱う店がたくさん入っていて、どこで食おうか選ぶのに一苦労する。ちなみに店舗内、テラス席どちらもでもOKで、天気も良いせいか外で食ってる人たちが大勢居た。
悩みに悩んだが、「かいせんどころ梁」さんの南三陸キラキラ秋旨丼と、
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「弁慶鮨」さんのさんこめしをチョイスした。
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おそらく街中の店よりも観光地価格なんだろうが、それでも共に新鮮で全てのネタが美味かった。特に名物のタコが信じられないほど柔らかくて絶品であった。この味を知ってしまうと、もう東京のゴムみたいなタコは食えない。
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南三陸の海の幸の余韻を楽しみつつ、どこからどう見ても「The 隈研吾」な中橋を渡って震災復興記念公園へと向かった。
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先ほど見た防潮堤同様に、川の護岸も新しいのが何とも言えない。
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そして橋を渡ると、左下に見えてきた。
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「旧防災対策庁舎」だ。
最期まで住民に避難を呼びかけるアナウンスをし続けた職員の遠藤未希さんの逸話は、震災関連でも特に有名なもののひとつであろう。無残に圧し潰された非常階段の手すりが痛々しい。現在はかなりかさ上げされた周囲と比べると、当時はかなり低いところにあったのだとはっきりとわかる。
さらに公園の中心部の丘へと進む。丘をぐるりと周りながら頂上へと続くなだらかな登り坂には、地震当日の発生から悲劇までの出来事が時系列に記述されている。
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当時恐ろしい牙を剥いたとは想像もつかないような穏やかな海と真っ白な防潮堤、そして高野会館を望む場所に花が添えられていた。
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公園の北側駐車場の奥に何か見える。
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かつての気仙沼線の志津川駅のホームだけがひっそりとそのまま残っているようだ。
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南三陸を後にして再び三陸道へと戻り、しばらく北上する。
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やがて到着したのは「道の駅陸前高田」だ。ここも悲しいほどに真新しくキレイで立派な建物だった。
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駅の裏手の原っぱの中の遊歩道をてくてく歩いて行くと向こうに見えてきた。
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「奇跡の一本松」だ。残念ながら現在立っているのはほぼレプリカとのことだった。これに関しても当時けっこう報道されていたと記憶しているが、色々な方の努力の甲斐も無く1年も経たずに枯れてしまいその後は復元したなどという経緯は恥ずかしながら全く記憶に残っていなかった。これが記憶の風化というヤツなのか、あるいは単に自分がボケているのかわからないが、いずれにしても怖いことだ。
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一本松の向こうに見えるのは、かつての「陸前高田ユースホステル」だ。
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幸いにして当時は休館中だったので人的被害は無かったが、建物はコテンパンにやられている。ただ自身はやられたが、これがガードしたおかげで一本松が生き残ったというお手柄もあったらしい。
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堤防の上から見る海は、ここでも嘘のような大人しい顔をしていた。そして当時全滅した7万本の後継者たる若松たちが頼もしく生育中だった。
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道の駅側を振り返ると、美しい芝生広場と真新しい駅の建物が見えた。右手の建物は何だろう。
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最初は何かスタジアムの観客席かと思ったが、これが旧道の駅陸前高田でタピック45という震災遺構とのことだ。
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堤防から橋を渡って道の駅へと戻った。
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水路を巧みに配置した近代的な建物は、南三陸の隈研吾に対抗して安藤忠雄か?と思ったら、違ったみたい。
道の駅陸前高田を出発して国道45号を走り、「タピック45」と「下宿定住促進住宅」を横目で見てこれにて本日の震災遺構巡りを終わりとした。本当に駆け足であった。次の機会があれば、もっとじっくりと周りたい。
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小笠原満男と佐々木朗希を生んだ大船渡高校がある大船渡でちょっと買い出しをしてからまた三陸道に乗り、釜石JCTから釜石道へと入って本日のねぐらを目指した。
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夕暮れ迫るなか釜石道を下り、「道の駅釜石千人峠」に到着した時にはすっかり暗くなっていた。三連休の初日で大きくない駅なので混んでいたらどうしようと不安を抱えながら来てみたが、ガラガラだった。風呂も無いしちょっと三陸から内陸へ入っているので穴場だったのかもしれない。
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今宵のメインディッシュは、南三陸の道の駅で買った目玉かれいの塩焼きだ。
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後は上品の郷で買ったホタテオニギリ×2とホヤオニギリと、村田で買った笹かまの残りだ。
目玉かれいはさすがは地物だけあってふっくらとした身が素晴らしかった。ホタテオニギリもホヤオニギリも実に美味い。ホヤはもっと癖が強いフルボディでも一向に構わない、というかもっと臭いのを期待していたのだが万人ウケするようなマイルドタイプだった。
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合わせるのはこれまた上品の郷で買った一ノ蔵無鑑査本醸造超辛口だ。超辛口を謳うだけあってキレ味抜群だった。まさに伊東純也ばりにキレッキレなのだが、ベースの美味さを感じるただ単に辛いだけの酒では無かった。さすがは一ノ蔵だ。
酔っ払いながら観ていた男子バレーは、なんとサクっとパリ五輪出場切符をもぎ取った。いつのまにこんなに強く頼もしくなったのだ。ついこないだまでの木村サオリンたちの時代は女子の方が圧倒的に勢いがあったのに、すっかりお家芸復活だ。私が子供時代は森田や猫田などがブイブイと言わせていた黄金時代だったが、今の代表には是非ともそれを越えて欲しいものだ。
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今宵はあまりにも静かそうなので、思い切って今回初の屋根裏寝に挑戦してみよう。
本日の走行距離:147km
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